物事を俯瞰することで、他人に寄り添うことができる

表題の言葉は、俳優の志尊淳さんが「半分、青い。」の自分の役柄”ボクテ”について語った言葉。

「”ボクテ”は、物事を俯瞰することで他人に寄り添うことができる人物」と。

 

 

実は「半分、青い。」を観てもいない私。( ´,_ゝ`)プッ

そして志尊淳さんのことも存じ上げなかった。

 

にしても、この言葉にはなかなかハッとさせられた。

特に、こう言ってはなんだが志尊淳さん、見た目はアイドルアイドルしく見える可愛らしい容姿で、正直、ぱっと見は人間性の深さを感じなかったから尚更驚いた。(ごめんなさい志尊淳さん、私の勝手なイケメン=深みがないという偏見です)

 

そうなのだ。

 

物事を俯瞰さえできれば、他人に寄り添える人になれる。

情熱や思い入れは必要だけれど、それだけでなくクールで客観的な目線をどこかに併せ持つことで、他人に対してより寛容で優しくなれるのだ。

 

 

私は30歳を過ぎたあたりからそれがようやく上手くなったと記憶する。

 

志尊淳さんはまだ20代前半で、しかも見た目が美しく・・・そして若くて美しい人というのは総じて自分にだけ夢中なエゴイストであるのがセオリーとも言えるのに、この客観的分析力、聡明さはすごいなと。

 

こんなに短い言葉で的を射た表現をこの若さで。

そして人生における、シンプルだけれど難しい真理をさらりと表現できるなんて、感心しちゃうわぁ(・∀・)

 

さあ、みなさんご一緒に。

物事を俯瞰することで、他人に寄り添うことができる。

 

そして他人に寄り添えることはステキだ。

 

 

ーーーーーーー

それはそうと、これを書いている2018年8月3日の時点ではこの「半分、青い。」はまだまだ物語の途中。

(ただ今、ヒロイン鈴愛が映画監督志望のダンナに絶賛捨てられそうになっているところ)

 

 

わたくしはTVを観る習慣がないのでTVでは観ていないのだが、今後の展開がとても楽しみ。(あらすじは友達に聞いたり、ネットで追ってます笑)

 

それにしても、最初は「漫画家ちゃんを題材にしたストーリーなのね〜」と思っていたが、どうやら違うようだ。

 

この、「最初に視聴者に抱かせたイメージと全く違うところに話の軸を持っていくこと」は結構すごいことだ。

なぜなら「漫画家ちゃんの話なのね!漫画家が挫折を繰り返し成長するドラマって面白そう」という朝ドラ展開を思って見ていた大多数の人の気持ちに肩透かしを食らわせることになるから。

私が脚本家だったら、やはりみなさんの期待に答えて普通の成長ストーリーにしてしまうでしょう。

 

毎朝観ている友達が、「スランプで漫画が描けなくて、好きだった幼馴染も結婚しちゃって、それをバネに漫画家として奮起するかと思いきややはり描けなくて、挫折して100円ショップで働くところなんて、リアルでリアルで胸に迫る」と言っていた。

 

そうだ。

普通の朝ドラならば、幼馴染と道が別れたところで漫画家への道が切り開けたりするものなのに、鈴愛はやはり描けない。辛い。

これではまるでドラマじゃなくて現実だ。

 

もしかしたら脚本家の北川さんは、(特にロスジェネ世代が)失ってきたものと、人生は喪失の連続なのが定石だからそれは悲劇でもなんでもないということ、その中でさえクスッと笑えるおかしみとしぶとさ、そして得てしてそういうもので人生は構成されていることを描こうとしているのかしら。

 

だとしたらだいぶ玄人ウケする題材になってしまうが、それでもメジャー王道にまとめる真の実力を見せつけられたら、それはもう名作になるでしょう。

 

ゾクゾクするわぁ。

 

 

どうでもいいけど、このポスターを撮影したのはレスリー・キーなのね。

 

このイメージもとてもいい!

レスリー・キーは女性を少年のように撮るのがとても上手いなと思う。

 

 

そんなこんなで「半分、青い。」今後も注目しています。

 

(了)

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